About加藤建築について
Tadao
Kato
加藤 忠男
- 生年月日
- S45.9.23生まれ
- 家族構成
- 妻、子供2人
- 趣味
- 古都めぐり、スポーツ、音楽、その他観戦鑑賞
- よく聴く音楽
- B’z
- 好きな食べ物
- 甘いもの(全般)、蕎麦、ラーメン
加藤忠男が大工 加藤忠男になるまで
私が大工を目指すきっかけとなったのは父の存在でした。父を抜きにして私の「大工への道」を語ることはできません。私は小さい頃から父から大工を目指した時代の話をよく聞かされました。父は伊豆の河津で生まれ、大工修業のために15歳で単身沼津へ出てきました。コッペパン1個5円、ラーメン1杯10円、映画が50円の時代。大工の親方の自宅に住み込みで世話になったことや、1ヶ月のうち休みが2日間(1日と15日)しか無かったことなど…。
40~50年前の話ですから現代のような機械も無く、家づくりはすべて手作業で行われていたそうです。新築も平屋がほとんどで、坪数も平均10~15坪ほど。一軒の新築工事を数人の棟梁達で造り、朝昼晩の食事も施主様から頂き、仕事をしていたと聞いています。
私は1991年に21歳で大工を目指し、父のもとで修業を始めました。木の種類、材料の名称、全てが素人。cmが通用しない大工の世界で「寸」と「尺」との出会い。毎日朝は掃除から始まり、言葉は悪いですが「あれ持ってこい。これ持ってこい」の連続。
最初の頃は、本当に自分は大工になれるのか?自分には向いてないんじゃないか?もっと別の仕事のほうが…?何て事を考える日々が続きました。悩んだときは仲間や家族、お施主様にいろいろ応援いただき、乗り越えてゆくことが出来ました。
5年間の修業(大工の世界では年明け[一人前]という)を経た26歳のとき、父のもとを離れて新しい環境で自分を磨くことを決意。そして新しい親方達と出会い、仕事の厳しさや奥深さを教えていただき父とは違った仕事の方法も学ぶことが出来ました。
さらに数年して、当時はローコスト住宅が業界を牽引している中、ハウスメーカーの大工仕事の請負を始めました。建坪に対して坪○万円という手間請負という仕事です。ローコスト住宅のために当然、請負金額も低いです。しかし私自身、利益や儲けよりもお客様の家づくりを手掛けることのできる喜びのほうが大きく、当時は時間の経過が非常に早く感じるほど夢中になって作業していました。仕事に入ってから大工工事終了時の検査、そしてお施主様への引渡まで、緊張の毎日でした。
そんなハードな毎日の中、片時も忘れなかったのは修業時代に父から言われた『常にプロであることを忘れてはならない。プロである以上、プロらしい仕事をしろ』という言葉でした。
他の工事との絡みや材料の搬入時期、そして段取りを常に考え、早くて効率が良く、しかも丁寧できれいな作業を追求し、50棟近い工事を手掛けることが出来ました。
そのとき培ったノウハウを、今度は自分の力で試したいという思いを胸に、2003年、『加藤建築(有限会社 加藤忠男)』として独立しました。お施主様の暮らしや生活スタイルを第一に心掛け、さらに大工として家への想い、木への想いが伝わる家づくり。バランス、デザイン、歴史を取り入れて、どうつくり上げていくのか?これからが大工・加藤忠男として真価の問われる時だと思っています。
平成21年7月11日 自宅事務所にて